正確で細密な歯科治療のために

正確で細密な歯科治療のために

口の中はもともと歯科医が治療するためにつくられているわけではありません。
そのため、口の中で何らかの作業(治療)をしようとすると様々な困難に遭遇します。

1.正確な診断、正確で綿密な治療計画があっても、それを実行して形にあらわすのは歯科医師の手作業です。

2.歯科医師の手作業の出来、不出来が細密な治療の成否を左右します。

そのため、正確な手作業が行われるために必要な条件を探り、それを整えなければなりません。

3.医療の世界では、器用、不器用、"名人芸"にこだわり、それだけに依存することは好ましくありません。

それでは、治療の普遍性が失われてしまうからです。

しかしその困難に打ち勝たなければ、歯科治療の目的を達成することはできません。 いくら高邁な理論、完璧な治療計画、達成しなければならない目的などがあったとしても、歯科医師の手作業によってそれを実行することができなければ"絵に描いた餅"で終わってしまいます。

また、器用な歯科医には出来ても、不器用な歯科医には出来ないということでも困ります。
正確で細密な歯科治療のために
とくに細かな精密作業を正確におこなうためには適さない、劣悪な環境でもあるのです。
まず口の中は、狭くて暗く、精密な機械などを入れて治療するのには制約があります。
さらに、アクセスする方向が口の外から内側へと決まっていて、喉の奥からアクセスすることはできません。

さらに、舌や頬、口唇などといった勝手に動く組織があって治療の妨げになります。
そればかりでなく、そのそばで高速回転する歯を削る機械などを使用しなければならないので、危険きわまりない状況です。
さらに口は繊細な感覚が発達しているので、好・悪、快・不快の感覚が強く、精密機械を修理するようなわけにはいきません。

狭くて暗い口の中には通常32本の歯があり、そのうちの前歯はそれぞれ4つの面からできています。臼歯は5つの面をもっています。
これらの面を足すと、全部で148の面があることになりますが、その全部の面が歯科治療の対象になります。

それらの面のうち、口の外から覗いて見ることが出来るのは、80面だけです。(直視率54%)
あとの68面はそれぞれの歯の影になり、いくら頑張って覗いても直接見ることは出来ません。


歯科診療方法の変遷

正確で細密な歯科治療のために
近代歯科治療の歴史は、1700年代にフランスのピエール・フォシャールによって始められたといわれています。
1840年代にはアメリカのウイリアム・T・G・モートンによって麻酔を使った歯科治療がはじめておこなわれています。
その当時の診療姿勢は患者さんが椅子に腰をかけ、歯科医は立った状態で治療をしていました。



正確で細密な歯科治療のために
このスタイルでの治療は、30年前くらいまで世界中で行われていました。
1960年代になって"水平診療"というものが推奨されるようになりました。
これは患者さんが横(水平)になり、歯科医は椅子に腰をかけて診療するスタイルです。








このような診療スタイルへの変遷が必要になった背景には、当時急速に進んだ歯科治療の技術革新があります。


正確で細密な歯科治療のために
それはまず第一に、高速で歯を削る切削機械が現れたことであり、第二には安全な局所麻酔薬が使用されるようになったことです。
局所麻酔は今でも患者さんにとって最も嫌われる治療の一つですが、一度の麻酔でその周辺の数本の歯を同時に治療することができます。

患者さんの立場からすればその都度何回もいやな麻酔をされるより、一度の麻酔で何本もの歯を治療してもらう方がよいということは明らかです。
そのために一人ひとりの治療時間が長くなり、診療時間の予約制診療が必要になり、次第に一般的になっていきました。
一回の診療時間も長くなったということで、患者さんは横になり、歯科医は椅子に腰をかけて診療をすることが一般化しました。

このような診療スタイルはさまざまな必然性の結果として生まれてきたのですが、いくつかの問題点も生みだしました。


正確で細密な歯科治療をおこなうための条件を求めて

現実に行われている歯科治療の実態
実際の歯科診療では下の写真のように、歯科医は無理な姿勢で診療を行っています。
頭を曲げたり、ひじを上げたり、背中を曲げたりして、身体に不必要な負荷をかけた無理な状態で診療をしていますが、歯科医の疲労も大きくて集中力が持続せず、治療に専念することができません。
正確で細密な歯科治療のために


このような姿勢では、治療の対象を十分に認識して、精密な治療をすることは不可能にちかいといっても過言ではありません。
 結果的には治療の質の大幅な低下を招く最大の原因になっています。


正確で細密な歯科治療のために


上の写真のような診療風景は今でも多くの診療所で見かけることができます。
このような不自然な姿勢で長年診療をしている歯科医は、一般の医師より平均寿命が10年短いといわれています。
立っていた時より、座位で診療をすることで、上半身を過度に曲げなければならなくなり、身体への負担が増しています。

歯科医の腰痛は職業病ということで諦めてしまっている歯科医も大勢います。
それよりも、きちんとした責任のもてる診療が出来ないことのほうがはるかに重大な問題です。

このような重大な問題が顕在化しはじめた時に、その問題解決のために乗り出した一人のアメリカ人の歯科医がいました。
アメリカ海軍の横須賀海軍病院で、若き歯科軍医として勤務していた彼は、病院で一世代前の診療姿勢(立位)で診療することを強いられていました。
そのことに耐えられなかった彼は、患者が座る椅子を無理やりに後ろに倒して診療していました。

上司に何度も注意されながらもその診療スタイルを貫き通したのですが、やがて退役してから日本のメーカーに働きかけて、彼独自の理論による診療台をつくりました。
それは1964年のことですが、"スペースライン"と名付けられたその診療台は、日本の歯科の診療方法を根本から変えてしまいました。


偉大なる歯科医療の恩人Daryl Raymond Beach

正確で細密な歯科治療のために
その当時はまだ"水平診療"という言葉もなく、水平診療を行うことのできる診療台を作っているメーカーもありませんでした。
それまでの診療台は"デンタル・チェーアー"とよばれており、"水平診療"という概念はありませんでした。

ビーチ先生は身をもってその必要性を実感され、日本の歯科器材メーカー(モリタ)を説得して、おそらく世界初の水平診療のための診療台となる"スペースライン"を誕生させました。




正確で細密な歯科治療のために
学歴
1944-1945 米国キャロル大学
1946-1947 オレゴン州立大学 化学および心理学専攻
1947-1951 オレゴン大学歯学部 卒業、DMD取得

職歴
1958-1964 日本大学歯学部客員教授
1964    東京医科歯科大学非常勤講師
1972    韓国慶記煕大学歯学部名誉教授
1975    フィリピンオカンボ大学客員教授
1980-1985 九州大学歯学部非常勤講師
1984-1994 米国メリーランド大学歯学部客員教授
1997-2001 東京歯科大学非常勤講師

大学以外の職歴
1944-1958  米国海軍基地兵役
1951-1952  オレゴン州ポートランド市にて診療
1952-1957  横須賀米軍海軍病院に口腔外科医として勤務
1962    米国アラスカ州アンカレッジにて診療
1969-1994  原爆障害調査委員会顧問


ビーチ先生にお会いしたのは、オレゴン大学に留学していたときでした。オレゴン大学教授の上野浩先生のご紹介で、たまたま日本から来られていたビーチ先生にお会いしましたが、それ以来生涯の師として実に多くのことを教わってきました。


Daryl Raymond Beach 先生 略歴

<歯科医療への貢献>
1969- 1994
HPI(Human Performance & Informatic Institute)設立
国内外の歯科医師、大学関係者に歯科教育コースを提供する。

1797-
システムロジック・コングレス主催

1970- 1976
世界歯科連盟(FDI)歯科診療委員会顧問

1984-
APLO(Academy of Performance Logic-Oral)名誉会長

1984- 1997
世界保健機構(WHO)口腔保険専門委員会委員

1984- 1997
タイ・チェンマイ州にてWHO地域口腔医療プロジェクトに貢献
OMUアソシエーション理事

1995-
有限会社LANセンター社長

2002-
Global Network for Sytematic Health Care 理事

<褒章>
2000年 4月 勲三等瑞宝章 受賞

ビーチ先生は2000年4月に、日本の歯科医療への長年の貢献に対して日本政府から叙勲されています。
ビーチ先生が生涯をかけ、追及されてきたことは、口の中という狭い作業空間のなかで、歯科治療という精密作業をいかに正確で安全で確実におこなうことができるかということでした。
そのことが人々の口腔の健康の創造と維持のために不可欠であることを真剣に考えておられたからです。

歯科医師は口腔という狭い空間のなかで、高速回転をする切削器具で、人体の中では最も硬い組織である歯を削って治療をします。
それも1ミリの何分の1という精度で行わなければなりません。少しでも削り間違えるなどということは許されないのです。

もしそのようなことがあれば、医療とは逆行する結果を生みだしかねません。
現在行われている歯科治療の現状を見る限り、とても人間が精密作業をするときの姿勢とは考えられないような無理な姿勢で治療が行われています。

ビーチ先生は、まず人間が精密作業をする時にとる自然な姿勢の研究から始められました。
その条件をできればそのまま口のなかの作業でも行えるようにするためにはどうすればよいかを考えてこられたのです。

人間は自然で無理のない姿勢のときにすべての感覚が鋭敏に働き、手指も自由に動いて潜在能力を最大限に発揮することができます。


正確で細密な治療を行うための条件を探る

1.人間として、五感を最大限に研ぎ澄ますことが出来る条件を 整える。

2.全身の姿勢をととのえて、手指を自由に動かせる体勢をつくる。

3.直視だけにたよらず、鏡視をとりいれて習熟する。

4.補助者の協力を得て治療に専念できる体制を整える。

正確で細密な治療を行うための条件を探る

まず人間がもつすべての感覚が正常に働き、手指を自由に動かすことができる条件を整えることが求められます。
その条件を整えるためには、まず何もない空間で人間が精密な作業をするときの状態を観察する必要があります。



1.人間の五感を最大限に研ぎ澄ますことが出来る条件を 整える。
人間が精密作業をおこなう時の理想的な姿勢
精密作業をするときのからだの条件

1.まず第一に身体が安定して支えられていることが必要です。
2.次に身体全体のバランス感覚が得られるように座っていること。
3.作業点は身体の中央で、胸の高さあたりにきます。
4.頭部はやや前傾ぎみになります。
5.肘は脇の下をしめて上に挙がらないこと。


2.全身の姿勢をととのえて手指が自由に動かせる体勢 をつくる。
人間が精密作業をおこなう時の理想的な姿勢

人間が精密作業をおこなう時の理想的な姿勢

これらの条件は多くの被験者の協力を得て実際に計測した数値の平均値です。
どこまで頭部を傾けていくと、違和感を感じるかという固有感覚にもとづいて計測した数値です。

これらの情報をもとに、口腔内での作業も出来るだけこの許容範囲内で治療が行えるように環境を整えていきました。

歯科診療のための最適な体の条件



実際の診療は下の写真のような状態で行われることが多いわけですが、その最大の原因は口の中を"見る"ということに専念するためです。
ほとんど100%の歯科医がこのような姿勢で毎日治療をしています!
"見る"ことに集中すると、覗きこむようになり、大きく姿勢が崩れます。
このような姿勢では、感覚は十分に働かず、手指も自由に動かすことができません。
(例えば、この姿勢で自分の名前を書くことができますか?)

結果としてこういう姿勢では非常に危険な治療がおこなわれる可能性が高くなります。
危険な高速切削機械(エアータービン)をもつ手は逆手(ぎゃくて)になっていますので、微妙な手の動きをすることはできません。

覗き込んで頭部を傾けて覗いているので、正面から見るのとは違い、対象となる歯の形も正常な形には見えていないはずです。


3.鏡視することの重要性
姿勢を崩さずに口腔内のすべてを見るためには?
鏡視することの重要性


問題はいくら覗きこんでも口の奥の方や、上の歯はほとんど見ることができないということです。
通常歯科医は奥の歯や上の歯を見る時は、歯科用の小さな鏡を使います。(デンタルミラー)
これを使うと口の中のどの部位でもよく見ることができます。

しかし一旦、上の歯など直接みることのできない部位の歯を削ろうとすると、このデンタルミラーが使えなくなります。
その理由は高速切削機械(エアータービン)からは歯を削るときに冷却水が出ていて、その水がデンタルミラーを曇らせて見えなくしてしまうからです。

そのためデンタルミラーは削る前と後の確認のためだけに使われ、実際に削っている最中には使われていません。

最も肝心なところは、勘と大体の見当で削っていることになります。



4.方向からの視線の確保
方向からの視線の確保


これは大変重大なことなのですが、歯科界でこのことを問題視する人はだれもいませんでした。
ただひとり、ビーチ先生だけがこの問題をとりあげて解決策を提案されました。
ビーチ先生は高速切削機械(エアータービン)を使用中にもデンタルミラーが曇らない方法を考えました。
それには補助者の協力が必要ですが、バキュームと3ウエイシリンジをうまく活用する必要があります。
さらに術者側もミラーを置く場所とミラーとエアータービンの位置関係など、慣れるためには多少の訓練が必要です。
術者自身の訓練と補助者との協働作業のこつさえ覚えればだれでもできるようになります。
これが出来るようになると、上の歯でも下の歯でも、部位による苦手意識がなくなり、安心して治療をすることが出来るようになります。
それよりも重要な効果は、覗きこまなくてもよくなるために、姿勢を崩すことがなくなったことです。

結果として正しい安定した姿勢で治療が出来るようになるので、手先の微妙な作業が上手に行えるようになります。
視線をコントロールすることで、姿勢がよくなり、その結果として手指のコントロールがよくなります。

大切な患者さんの歯を見えない状態で切削するなどということは、責任感のある歯科医なら絶対におこないたくないことです。
残念なことに、現在この方法(ミラーテクニック)を使える歯科医は数%程度であろうと思われます。
なぜなら歯科大学では学生の教育にこの方法を取り入れているところはほとんどないからです。



補助者の活用と4-ハンド診療

方向からの視線の確保
現在どこの歯科診療所でも、歯科助手がいないところはないと思います。


方向からの視線の確保
もはや歯科治療にはアシスタントが必要不可欠です。
歯科治療では高速切削機械(エアータービン)を多用しますが、歯のような硬い組織を削ると摩擦熱が発生して歯が焦げてしまいます。
そのため冷却水をかけて冷やしながら歯を削ります。

そのままにしていると、口の中が冷却水でいっぱいになってしまうのでそれを吸い出すためにバキュームを使います。
削っているところをミラーで確認しながら治療をする歯科医の場合、左手にデンタルミラーを持ち、右手にはハイスピードのハンドピースを持ちます。


そのためバキュームを持つ手が足りなくなります。
そこでチェアーサイドのアシスタントにバキュームを持ってもらい、適宜溜まった水を吸い出してもらいます。

アシスタントは溜まった水を吸い出すだけでなく、患者さんの舌や頬の粘膜が高速で回転しているハイスピードに巻き込まれて傷つけられないように、保護をする役目も果たします。

さらにミラーが曇らないように、バキュームの位置を考えながら、万一ミラーが曇った時には、エアーシリンジでミラーの表面の水滴を吹き飛ばします。

このような協働作業がうまく機能することでミラーを使いこなすことができ、完全に近い細密な治療ができるようになります。


フォーハンドシステムの採用
フォーハンド・システムとは、つねに四つの手で治療をおこなう治療法のことです。四つの手とは、歯科医師の二本の手と、歯科助手の二本の手のことです。

この四本の手が、あらかじめ決められたルールにしたがって有機的に動き、歯科医師は作業点に意識を集中して治療を行うことができます。






こうすることで、安全で効率的な治療をおこなうことができます。
そのため治療時間も短く、患者さんへの注意がゆきとどいた治療が可能になります。



4-ハンド診療の重要性

冒頭で口腔内で歯科治療を行うことの困難性を強調しましたが、4-ハンド診療をおこなうことでその困難性はかなり軽減されます。
治療の対象をよく見て、繊細な手の動きが可能になってはじめて、正確で細密な治療が可能になります。


歯科医師の治療への集中度も増して、治療の効率が向上するために治療時間も短くてすみます。
そして歯科医一人で治療をしているときよりも、アシスタントがチェアーサイドで付きっきりで介助してくれている方が、患者さんへの細やかな心配りを行うことができます。
そして患者さんのために本当に貢献できる治療を自信をもっておこなうことができます。
もちろん歯科医の疲労も職業病も心配しなくてすみます。



ビーチ先生への感謝

身体にも無理が無く、心にも余裕ができて診療を楽しみながら続けることができます。 これらの診療システムを組み立てて下さったビーチ先生には、心から感謝しております。